チェンバロの話 |
古いといっても、これが作られたのは今から数十年前。
パッサウという、オーストリアと国境を接するドイツ南東部の小さな町で、
チェンバロ(Cembalo)というのはドイツ語で、英語ではハープシコード(Harpsichord)、フランス語ではクラヴサン(Clavecin)といいます。
バッハに代表されるバロック期(17~18世紀)に最盛期を迎えましたが、その後ピアノの発展とともに一旦廃れ、20世紀に入り古楽が見直されるようになって以来、再び製造されるようになったそうです。
専門的なことはさておき、うちにこの楽器が来た経緯を少し。
(・・といいながら結構長いです^^;)
4歳から高1くらいまで、私はピアノを習っていました。
練習嫌いのため大してうまくはなりませんでしたが、弾くのは好きだったので、学校の合唱のときには伴奏役を引き受けたり(声にコンプレックスがあって歌うのがイヤだったという事情もあり^^)、クラスのオルガン係をやったりしていました(キリスト教系の学校だったので、毎朝HRで聖歌を歌っていたのです)。
音楽が好きで、中・高時代は学校のオーケストラに所属し、ビオラを弾いていたこともありました。
一方、夫も音楽好きで、サックスやギターなどさまざまな楽器を演奏しますが、中でも子供の頃習っていたフルートは結構な腕前です(本人がどう思っているかはともかく、私はそう思ってます^^)。
そんな私たちでしたので、結婚してからも音楽は常に身近な存在でした。
自分たちの結婚披露宴では、素人だてらにフルートとピアノの合奏もしました(若気の至りってやつですね・・f^^)。
新婚当初は賃貸マンション暮らしだったため、電子ピアノを買いました。
音と鍵盤のタッチにこだわって選んだ機種でしたが、電子楽器らしく少ないながらいくつか別の楽器の音も入っていました。
チェンバロの音もあり、披露宴で弾いたバッハのフルートソナタを中心に練習しては、家で合わせて楽しんでいました。
その頃、見知らぬ土地で専業主婦となって暇をもてあそんでいた私を見るに見かねてか、ある日夫がどこかで見つけた地元の室内音楽団のチラシを、持ち帰ってきてくれました。
「アンサンブル・センプリーチェ」という名前のその楽団は、十数名のバロック音楽好きが集まった弦楽団で、家から車で10分ほどのところにあるお寺の集会所(メンバーに住職さんがおられたのです)で週に一度集まって練習をしていました。
結婚前に自分の初任給だか初ボーナスだかで買ったビオラが手元にあったので、楽器の腕前はさておき図々しく仲間に入れていただきました。
主要メンバーが熱心な方たちで、N響の演奏家を個人的に招いてレクチャーをお願いしたり、ホールでの演奏会(私も一度だけ参加しました)も定期的にやっていたようです。
その後夫の転勤で引っ越すことになり、私が在籍したのはわずか1年足らずといったところでしたが、メンバーも本当にいい方たちばかりで、短いながらに充実した楽しい時間でした。
中でも特によくしていただいたリーダーのご夫妻が、東海チェンバロのスピネットをお持ちでらして、あるときどういうわけだかそれをお借りすることになったのです。
そうして、スピネット(チェンバロの小型版、といったところでしょうか)とはいえ、生音を奏でる楽器の登場で、我が家の合奏タイムはますます楽しいものとなったのでした(・・のはず。そこまではよく覚えていませんが^^)。
引越に伴い、当然スピネットはお返ししたわけですが、生楽器のよさに目覚めた私たちは、大して弾けもしないくせにいそいそギタルラ社(目白にある古楽器店)に足を運んでは、半ば本気で中古チェンバロの品定めをしたりもしました。
が、当時の住まいは55㎡の2LDK。
LD空間は8帖しかなく、とても置き場はありませんでした。
やがて、生まれたばかりの赤ん坊の世話に明け暮れるうちに、いつしかチェンバロ熱も冷めていきました。
子供が幼稚園に上がろうかという頃、ピアノを習わせ始めました。
音楽家の親戚から古いアップライトピアノを譲り受けたのは、ちょうどそんな頃だったと思います。
直前に中古の家を買い、楽器を置くことを考えてリフォームしたので、狭い中にもどうにか鍵盤楽器2台を収めることができました。
ピアノが家に来てから10年近くになりますが、その間夫の方はしばらくフルートからは遠ざかっていました。
それが、何がきっかけだったのか、3年ほど前再び彼にフルートブームがやってきたようで、唐突に楽器を新調しました。
それからでしょう、我が家のバロック熱が再燃したのは・・。
当時既に電子ピアノの方は他所へやってしまって家からなくなっていたので、伴奏はピアノで弾いていました。
しかし、せっかくフルートがいい楽器になったのに、本来チェンバロであるべき伴奏がピアノというのは、いかにももったいない。
これがチェンバロだったら、どんなにいいだろう。
そんな思いが湧きかけたころ、再び転勤による引越で、札幌で東京の家の倍ほどの広さのある家を借りて住むことになりました。
家族の人数に対して部屋数も多く、チェンバロの1台や2台置けそうです。
(実際空き部屋の一つには、夫専用の防音室をレンタルして入れたくらいでした)
にわかにチェンバロ熱が盛り上がっていきました(特に夫の中で)。
弾くのは主に私なのに、そこは音楽にただならぬ思い入れのある夫のこと。
どこかに手頃な価格&サイズの楽器はないものかと、ネットで世界中探しまわりました。
あるときは、ドイツの温泉でも出ていそうな名前の田舎町によさげなものが一台あるといって、旅行もかねて買いに行こうか、などと言い出したこともありました。
(そうそう、その頃検討していたのはスピネットだったので、モノを見てもし気に入ったら買って、脇に抱えて飛行機で持ち帰ればいいという考えだったようです)
また、オーストラリアのとある工房には誰かがキットで作ったらしきブツがあり、何度かメールのやり取りをする中で、実際にその楽器を弾いてもらい、デジタル録音したデータをメールで送ってもらったこともありました。
でも、予算の都合もさることながら、プロの演奏家でもないのにほんとに買うの?という思いは常にあり、よさそうなものがあってもなかなか一歩を踏み出せないまま、時は過ぎていきました。
そうこうするうちに夫が社内で転職(?)し、東京の本社で音楽関係の仕事を担当することになりました。
それを機に、この時のようにチェンバロの演奏会に行くような機会も出てきました。
今うちにあるシュペアハケは、そんな夫の仕事絡みの縁がもとで、我が家にやってくることになったのです。
・・と、ここまでで予想外に長文となってしまったので、この続きはまた改めて。
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